最近の世の中、簡単に言ってしまえば「イケイケブーム」です。
「自分にはこんなにも能力がある」「私はこんなことできます」という人ばかりですね。
でも、それもそのはず、前代は誰しもが発信しすることができる時代。
そして、環境も「自尊心の発達」を促すように「起業しろ」「自分の商品を持て」という方針であるのは事実です。
誰しもが、客観的に自分を見る時、冷静に「自分の変わりはいくらでもいる、平々凡々なのだ」と思うよりも、色眼鏡をかけて「自分自身は特別な人間である」と思いたいものです。
おが屑は誰の目に?
さて、上の文章を読んで、自分の周りにいる自己認識ができていない人を思い出し、ニヤリと笑みを浮かべたでしょうか。
「あーいるいる、うちの会社にも『俺さ、マネジメントめちゃくちゃ得意なんだよね』なんて言って、全然できてない人」
「あの人さ、人には、ああしろ、こうしろっていう割に自分のこと全然わかってないよね」
全くその通りです。
人は自分に対して、正確に自己認識することはほぼできません(正しいやり方を知っていれば別ですが)
自分アドバイスするよりも、他人へアドバイスする方が的確な問題を付けるのも同じ理由です。
と、ここまで話して、勘のいい人は気づくでしょう。
そう、僕は決して読んでくださっている人の反応を肯定しているわけではないのです。
自分の周りの人を思い浮かべて、ニヤリと笑った人は、自分自身も自己認識ができていないことに気づいていないということなのですよ。
聖書に有名な言葉があります。
「あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。
自分の目にある丸太を見ないで、兄弟に向かって、『さあ、あなたの目にあるおが屑を取らせてください』と、どうして言えるだろうか。偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目にあるおが屑を取り除くことができる。」
要は、「他者の間違いを指摘する暇があるのなら、まずは自分の間違いに気づき、正せ」と言う意味です。
これには僕も「はっ」とさせられました。
僕自身も、ニヤリと笑ってしまった一人なので…
人は間違いを犯すものです。
でも大事なのはそこから先です。
もし、他人に対して「自己認識ができていないんじゃ?」と思ったら、まずは鏡に映った人の自己認識が正しいものかを検討してみると、他人の自己認識に対して適切なアドバイスができるのではないでしょうか?
それではまた!
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