【読書】教養がある人は、世界の破滅時に何を残すだろうか

コラム

今回は少し短めのお話です。

「教養を持ちましょう」と流行りになっているけれど、それってどんな人?
そもそも教養って何?

みたいなことを話していきます。

もっと教養を付けたい、レベルの高い楽しみ方をしてみたい、と思う方は必見ですよ。

教養とは知識か?

教養と聞くと「よく知っている人」「歴史や文化に詳しい人」なんて言葉が思い浮かぶかもしれません。

それは間違いではありませんが、正解でもないのです。
教養とは「知識+α」のこと

つまり、知識が必要なのは大前提として、それだけでは教養がある人とは言えないよってことなんです。

では、+αって何でしょうか?

価値観の拡大化

教養がある人は、自分の価値観だけではなく、人類としての価値観を持っているのです。

「え?人類の価値観?何それ」

という声が聞こえてきそうですね(笑)

では、質問をしましょう。

「もし、本を一冊だけ残して、その他を燃やすといわれたら、あなたは何を残しますか」

僕の最も好きな本は「嫌われる勇気」です。
僕を読書の沼へと落とし込み、読書にハマるきっかけとなった本ですからね。

でも、教養がある人は、「自分の好きな本」を選ぶことはしません。

自分が好きかどうかにかかわらず、「後世に残すべき一冊」を選ぶのです。
そのためには、たくさんの本の知識が必要でしょう。

そして、ただ知っているだけでなく、自分の価値観よりも大きな価値観によって、選択を下す必要があるのです。

「しばちゃん、なんとなくわかったけど、いまいちピンと来ない」
なるほど、じゃあもっと身近な問題に置き換えてみましょうか。

生理的に無理

嫌いな人に向けて発言する、「生理的に無理」という言葉を例にとりましょう。

生理的に無理とは、「理由は何かわからんけど、私はあの人嫌い」という意味ですよね。

これは自分の好みが正当かどうかを考えず、より大きな価値観に照らして物事を見ることができていない、言ってしまえば頭の悪い表現なのです。

そして問題なのは、自分の判断基準は間違っていない、と思い込んでいること。

何をもってその人を嫌いなのか、それは自分の価値観だけの話なのか、それとも他に要因があるのか。

例えば、「見た目は太っていて、顔も不細工、正直全然好みではないけれども、子供に対して対等な立場で接し、多くの経験を学ばせてあげることができる教師」がいたとしよう。

この時、自分の好きか嫌いか、ではなく、これからの未来を切り開いていく子供のためにこの人は必要である。と判断を下せること。

これが教養のある人なのです。

人は言論の自由で、言いたいことを言えるようになりましたね。
しかし、その言いたいことが、自分の好き嫌いで完結してしまうのなら、無意味でしょう。

今、あなたが好きと思ったものが、他の人も好きだとは言えません。
だからと言って、「人それぞれでいいよね」なんて楽天的なのもいけません。

教養のある人は、好き嫌いの間にいないのです。
より大きな価値観の尺度を持っていて、何が後世のためになるのか、何が人類にとって財産になるかを知っているのです。

多角的な視点と抽象化

これは僕の勝手な考えですが、教養がある人とは「知識を持っており、かつ多角的で抽象的な視点を持っている人」だと思います。

つまり、1つのことに対して、多方面から見ることができ、抽象の度合いを変えられる人です。

1人の男性がいるとしましょう。ニートで就活もせず、家でPCばかり。
多くの人は嫌いと思うかもしれません。一方で好きにすればと思うかもしれません。

でも、見方を変えれば、家族と過ごす時間を多くとっているかもしれないし、PCでプログラミングを勉強してるかもしれない。
実はブログで後世に言葉を残しているのかもしれない。
いや、そもそもニートなのか?

もちろん、いつまでも親のすねをかじっている、自立できない大人なのかもしれないですが。

何せ、自分だけではない尺度で判断を下すには、多角的で抽象度のある視点が必要だと思うのです。

よければ、あなたも自分の価値観だけで判断するのではなく、もっと大きな価値観で、尺度で、物事を判断してみてはいかがでしょうか?

サックっと話そうと思ったのに、ややこしくなった気がしますが、その辺はご愛敬ってことで!(笑)

それではまた!


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